コンピュータとの出会い
私がコンピュータに初めて触れたのは、
1980年(昭和55年)高校1年の時でした。
NECのPC-6000(8bit)が登場するのは1981年です。
生活の中にパソコンはおろか「コンピュータ」そのものが
非日常的な物でした。
進学した商業高校には富士通のFACOM230-15があり、
その汎用機を触ったのが初めての出会いです。
プログラミングは、紙のコーディングシートに鉛筆で書き込み、
まさに文字通りの机上デバックの後、紙テープ穿孔機で紙に2進の穴を開けます。
ミスタイプしたら、その1行分を切り取り、別に正しくパンチした紙テープを
貼り合わせる・・・といった地味な作業を行います。
言語はFOTRAN、その後、COBOLを憶えました。
元々、電気関係の機械ものが好きでしたので、
プログラミングした通りに、結果が得られるコンピュータにはまりました(笑)。
プログラミングとは言っても、高校の授業の実習課題なのでたいした事はやってません。
単に帳票作成とか、シーケンシャルマッチングだとか、変わったところで
レジの待ち行列のシミュレーションとかです。・・・ん?今思うとなにげに高度(笑)?
転換期
今回の震災、原発災害を契機に、様々な場面で転換期を迎えることになると思います。
コンピュータシステムも例外ではないでしょう。
一部の自治体では戸籍データが紛失したとの情報も伝わって来ています。
バックアップは当然とっていたものの、その複本は同じ県内であったため、被害に遭ってしまったとのこと。
今後はこれらを教訓に、ネットワークを利用した全国的な分散保管が、法的にも義務づけられるようになると思われます。
そして、今まで流行言葉のように語られていた「クラウド」が、日常的な言葉になるでしょう。
業界で汎用的な業務、特に自治体を中心にした業務はクラウド化が特に進むでしょう。
また、進めるべきだと思います。
(それを促進するための、法改正、法整備も求められるでしょう)
復興は、ただ元通りにする「復旧」ではなく、
「再考して再構築」する事が将来につなぐためのポイントになります。
目線を上げて
今、私達に出来る事。
目線を上げて、前を向いて進む事。